2013年12月17日火曜日

2013年10月28日のコメントから その1

子どもの感性を信頼すること。
そうすればこどもも大人を信頼する。

@ 小学生の時手に取ったけれど、大人になっても良い意味で影響を残し続けてくれる良書だと思う。

@ 原爆体験を子どもたちに伝えるとてもすぐれた作品です。私が以前勤めていた学校でもカムイ伝やドラえもん、アトム、ブラックジャック、等と一緒に図書館にあり、ぼろぼろになるまで何度も子どもたちは、借りていました。子どもたちの楽しむ権利・知る自由を奪ってはなりません。

@ はだしのゲンは子ども、大人すべての人たちにとって、とても良いマンガです。図書館からの撤去はしないでください。

@ 事実から目を反らしては、真実を見つけられません。例え、目を覆いたくなる事実でも。こどもたちの力を信頼してください。

@  「知る権利」「表現の自由」の侵害です。読みたくない人は、読まなければ良いだけの話。戦争や原爆の悲惨さを知る「きっかけ」を奪うのはおかしいです。

@ 憲法で保障された私達市民の知る権利はどうなってるのでしょう?
私達は自分達の歴史も知ることができないのでしょうか?
マンガは、子供のうちに基本読むものでしょ?
それほどまでに隠したい過去なら、キチンと向き合って、被害者に誠心誠意謝りましょうよ!

@ 平和・戦争について考えるのに欠かせない本だと思います。撤去はおかしい。

@ このようなことは許すわけにいきません。自由閲覧をして下さい。

@ 読むか読まないかは子供達に選択させるべきで、大人が勝手に取り上げたりするものではない。

@ これは草の根のファシズムです。
「はだしのゲン」を撤去することは戦争への道に繋がっています。絶対に反対!

@  「はだしのゲン」は優れた歴史図書です。表現の自由、子供たちの知る権利を奪ってはいけません。

@  「はだしのゲン」は日本人が読み継ぐべき作品。それを阻むもの。
愚かな過ちを繰り返すことになります。

@ はだしのゲン、を子どもたちに自由に閲覧させてください。

@  「良書」と「悪書」を大人が選別すること自体に、とても違和感があります。
『はだしのゲン』を子どもが自分で手にとり、何かを感じたら、また違う角度から書かれたものに手を伸ばすはずです。「自分のものさし」とはそのようにしてつくられていくもので、閲覧制限は、「子ども」と「本」と「教育」に対する冒涜だと思います。

@ こどもの感性を信頼すること。そうすればこどもも大人を信頼する。

@ 何故『はだしのゲン』が有害図書なのか、まったく分かりません。

@ 原爆の実相と平和の尊さを語り継ぐ、優良書の撤去は許されません。

@  こういう規制は良くないですよ。核兵器を持ちたい方からすれば「有害」なのかもしれませんが、被爆国としてこの漫画を「有害」指定するということは恥ずかしい行為です。

@ はだしのゲンは本当に日本の国民の財産です。事実を知らせることを嫌うのは、再び戦争をしたい一部の人です。そんな違憲(意見)に惑わされず何時でも閲覧できるようにしておくべきです。

@  おかしな世の中ですが、地道に反対を繰り返して参ります。

@ 孫が練馬区の小学校に通っています。世の中のことをきちんと知るために、子どもたちが気軽に読めるよう、図書館に置き続けてください。

@ c広島市民として、強く撤去に反対させて頂きます。
真実を知る権利を奪うのは、やめてください!!

@  区民ではないですが、この問題に関心を持っています。良識を期待します。

@ 被爆の悲惨さを継承していけるように。

@ 戦争の悲惨さを子供たちに知らせるためにもゲンは良い本だと思います。

@ 学ぶ場で何故学ぶ事を制限するのでしょう。貴方方にその資格はありません。

@ 戦争をする国づくりに前のめりとなっている安倍内閣のもとで、戦争と核兵器の悲惨さを自らの体験をもとに描いた「はだしのゲン」は、現在に生きる子どもたちの手が届く場所になければなりません。

@ 単行本を購入してはだしのゲンを読んでいます。貸出しを反対する理由が読めば分かります。購入して読むことをお薦めします。

@  じっくりどっしり向き合って圧し返しましょう!

@ 市民社会は多様な価値観を認めるのが前提です。
一方的な考えで、他のものを抑圧することは、民主主義の封殺です。

@ はだしのゲンもだし、マンガ、アニメの表現規制、に反対です、それ等を検閲してはいけない、してほしくない。文化を守れなくては、平和も守れないのだし。

@ 二度と戦争を繰り返してはならないは、戦後の国民の原点です。未来を担う子どもたちに、戦争の悲惨さ・被爆の実態をしっかりと伝えるためにも『はだしのゲン」は、大事です。子どもたちから遠ざけないでください。

@ 世の中にはいろいろ眉を顰めるような表現に出会うこともあるけど、そういう時に「私は不快だった」とか「私は子供には見せたくない」、ってことは大いに発言すればいい。けど、そこを主語をすり替えて一般的な話題にしてしまうのは、卑怯だと思います。個人の不快感を、社会全体に押し付けないでください。

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